双葉町の伝承館は何を伝えたいのだろう

  11月21~22日、ふくしまファンクラブ主催のスタディツアーに参加。東日本大震災原子力災害伝承館を見学してきた。僕はまあ、地元出身者であるし今までは自分で行くか見学者を募って自分が案内人になるかしてきたのだけれど、最近はスタディツアーに参加して貴方まかせのスケジュールで見て回るのもいいよなあという気になってきた。楽だし、経費は浮くし、何より、自分でスケジュールを組むとどうしても先入観が入ってしまい、「見たいものしか見ない」旅になってしまう。その点、スタディツアーには意外な出会いが詰まっていて面白い、というか勉強になると気づいたのだ。f:id:futakokun:20201130174800j:plain

 というわけで、東日本大震災原子力災害伝承館を見学したのだった。伝承館の事業主体は福島県。開館は2020年9月20日で何もかも真新しい。到着したのが遅かったので、ひと通り見終わって外に出た時は陽が暮れていた。ここはもと田んぼだったところ。目と鼻の先が海で、もちろん津波の被害を受けている。僕はここから3キロの距離にある双葉高校に通っていたのでいろいろ思い出もある。正直、なんだかなあと思う。これが「復興」なんだろうか。「伝承」と謳いながら、逆に思い出を奪われたような寂しさがあった。

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 暮れなずむ伝承館。ご覧の通り建物は立派だ。掛け値無しに優れたデザインだと思う。内観は撮影不可でお見せできないが、清潔で瀟洒でシックでクールだ。けれど、被災住民の思いを伝えようとするなら、泥臭い、土着的な空間であるべきではなかったか? ここにある精神は、「伝承することによって過去を葬る」という見え透いた狡知ではないか。

 震災発生の時刻で止まった時計を数個、白い壁に展示して何が伝わるのか。こういう物は実際に自分の足で被災地を訪ね、思いがけなく発見した時にこそ胸を撃つのだ。

 無菌状態の展示コーナーに津波被災地で発見されたランドセルを二、三個置いたところで人の心は動かない。モニターには体験者の証言が映し出されているが、貴重な証言もここでは単なる資料のひとつと化しているような気がした。情報や資料を並べたって人の心は動かせない。人の心を動かすのは物語だ。

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 上の写真は復興祈念公園を走っていた自動芝刈り機。お掃除ロボットみたいなものかな? 人知れず広い芝生を黙々と芝草を刈って回っている。見ていてなんだかいじらしくなった。

 大友克洋の漫画『AKIRA』に出てくるセキュリティーボール(人工知能でゲリラなど武装勢力を探知し攻撃する自走式ロボット)が頭に浮かんだ。ぜんぜん似ていないのだが。「核戦争で人類が滅んでもこれは無人の街を走り続けるのさ」(記憶で書いているので多少違うかもしれない)というセリフを思い出したのだ。

 下の写真は伝承館から山側を見た風景。ご覧の通りだ。どこまでも真っ暗闇で生活の灯りがない。この風景こそ震災被災地、原発被災地の現実だ。

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 いろいろ書いてきたけど、伝承館の唯一の救いは語り部の部屋があること。体験者の生の声をここで聴くことができる。僕らスタディーツアーの参加者は、ここで語り部をしている人の体験談をバスの車内で聞くことができた。僕は魂が震えた。これから伝承館を見学しようとする人、またツアーのスケジュールに組み込もうとしている人へ。お願いだから語り部の話を聞いて欲しい。本当に伝えるべきことは、「これだけは伝えなければ自分の経験が無になる。自分の存在理由さえ問われる」という危機感から発する生身の声にこそある。だからこそ語り部の存在は貴重なのだ。語り部の人は頑張ってほしい。ここを訪れる人はぜひ、時間を作って語り部の声を聴いて欲しい。