「このからだ微塵に散らばれ」とチェルノブイリ

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 「このからだ微塵に散らばれ」を創作するにあたって、最初にふたつの決めごとを設けた。

 ひとつは宮沢賢治の詩句をタイトルに据えて、「いかりのにがさ」「花火なんか見もしなかった」と併せて宮沢賢治三部作にすること。そこで、「春と修羅」の一行、(このからだそらのみぢんにちらばれ)を借り、「このからだ微塵に散らばれ」に決めた。この時点ではテーマもストーリーをまるで決めていなかった。

 もうひとつの決めごとは、2017年に僕はチェルノブイリを旅行しているので、僕なりのチェルノブイリ体験を何らかの形で物語に反映させることだった。しかし、そのために思いのほか苦しむことになった。チェルノブイリと福島を「からだ」で結びつけるものとして、甲状腺がんの他にはなかった。けれど、物語を進めるためには、機動力となる何かが必要だ。その何かが見つかるまで何度も書き直した。チェルノブイリと福島を結びつける何か。そこで、不意に思い浮かんだのがウクライナの歌姫、ナターシャ・グジーだった。

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 実は、チェルノブイリ・ツアーの参加者の一人が、参加者全員にナターシャのCD(「消えた故郷・生命の輝き2」)をプレゼントしてくれた。もちろん僕もいただいた。鎌倉の建長寺で避難者支援のコンサートを開いた時は僕も聴きに行った。購入したCDにサインをしてもらい、短い時間だが会話もした。繊細でやさしい人という印象を持った。ナターシャをモデルにした歌姫を小説で「美神」と僕は書いたが、それはこの時の正直な感想だ。

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 上は、廃墟となったプリピャチ市に今も残る、ソ連のマークを掲げた建物。下はプリピャチ市の遊園地。開園前に原発事故が起こり、使われずじまいとなった。

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原発時事故当時、ナターシャの家はチェルノブイリ原発労働者の街、プリピャチ市の郊外にあった。原発から3.5キロという近さだった。ナターシャは6歳の時にここで被爆した。ナターシャが住んでいた集落は、家も学校も何もかもが、線量が高すぎるという理由で破壊され、土に埋められた。

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 これらの写真はチェルノブイリ原発からほぼ30キロの距離にある村。居住禁止区域だが、ウクライナ語で「サマショール(わがままな人)」と呼ばれる自主帰還者が生活している。下右写真は井戸の覆い。

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 捨てられた村での生活はもちろん不便を強いられる。近くに病院も商店もない。基本的には自給自足の生活で、森で採れるキノコは貴重な食料だ。当然、健康上のリスクをともなう。しかし彼らは土から切り離された都会生活や避難者差別に耐えられず、故郷に戻ってきた。村内にある農家の多くは空き家で農地は荒れ果て、見るからにわびしい風景が広がっていたが、帰還者はその中にあって、それなりに充足した生活を送っているように見えた。「復興」の名の下に近代化を押しつけられている東北の被災地に比べて、僕が理想として思い描いていた「故郷再生(復興ではなく)」の姿を、ここで見たような気がした。もちろん、チェルノブイリにとっても福島にとっても僕はよそ者であり、こんな感想なんて身勝手な感傷にすぎないのだけれど。

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 下は、我々が訪問したサマショール、マリアさんの家にて。マリアさんウオッカとピクルスで我々をもてなしてくれた。ピクルスを切るマリアさんの足下に、おこぼれにあずかろうとする鶏やガチョウが集まってきた。

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 チェルノブイリ博物館(キエフ市)にある母子像。子どもが十字に腕を広げているから、聖母子像でもあるのだろう。チェルノブイリを訪れて意外だったのは、どこを歩いても宗教的(ウクライナ正教)な雰囲気が濃く漂うことだった。

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 NHKスペシャル原発事故7年目 甲状腺検査はいま」(2017年11月26日放映)より。画面撮りですみません。甲状腺がん摘出手術をした青年の首に残る手術痕。人によっては自殺を考えるまで苦しんだ。福島の甲状腺がんについては(当時)意外と参考図書が少なく、この番組が参考になった。

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下左は2017年当時の、地域別の甲状腺がん発見数のグラフ。

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 「このからだ」を書くため、浪江町から避難した友人に頼み、解体が決まった彼の実家にひと晩泊まらせてもらった

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 畳にはネズミの糞が散らばっていた。夜になると天井裏から小動物の足音が聞こえてきた。

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 これは2013年小高駅前の夜景。まだ居住制限があったため、日が落ちると人影がまったくなくなった。

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 『百年の孤舟』全編を通して、主人公たちは何かに怒っている。「ずっと怒っているので読んでいて疲れる」という声も聞こえた。僕には心外だった。そんな自覚はまるでなかったからだ。

 心当たりがあるといえば、福島から東京に戻ってくると、いつも僕は駅の雑踏に違和感を抱き、いらだち、目の前にいる人を手当たり次第に殴ったり蹴り飛ばしたりといった暴力衝動にかられた。もちろん行動には移さない。妄想するだけだ。そして福島に帰りたいと思った。人のいない怖ろしく寂しい風景を自分の居場所のように感じた。

 なぜ怒りにかられたのだろう。子どもじみていると言われたらそれまでだ。東京が水のように電気を使うから福島はその犠牲になったとか、東北に無関心で遊んでいるやつらが気にくわないとか、そういういちおうは筋道のとおった感情ではなく、もっとわけのわからない衝動的な怒りだった。

 いまはもうそんなことはない。駅に着くと、腹が減ったから何か食べて帰ろうとか、つまらないことを考えている。

 いつから怒りが消えたのか。たぶん住民の帰還が始まって街の様子が徐々に落ち着いてきてからだと思う。それは同時に、いつの間にか自分の故郷が自分の記憶と違うものに変化していく、馴染みのないものに変わっていく過程でもあったのだ。でも、そのことに対して抗議するつもりはないし、その資格もないと思っている。復興は地元住民が進めていくべきで、よその人間がしゃしゃり出てとやかくいうべきではない。小高の人たちは頑張っているなと、風景を見渡しただけでも感じるし、嘘偽りなく感謝もしている。

 「このからだ微塵に散らばれ」には、そんな僕の正直な思いをにじませている。。