伝承館への建設的提言

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   アレクシェービッチ(ノーベル文学賞受賞)著『チェルノブイリの祈り』に、チェルノブイリ博物館を作った人の証言がある。

「ぼくが手ずから作ったものは博物館です。チェルノブイリ博物館(沈黙)。だが、こんな気がするんです。ここにできるのは博物館じゃなく、葬儀社じゃないかと。ぼくの仕事は葬儀社なんですよ。(略)ほら、あの小びんのなかにはチェルノブイリの土がひとつかみ。あそこには炭鉱夫のヘルメット、チェルノブイリから持ってきたものです。汚染地の農家の道具。ここには線量測定員は入れません。ガリガリと鳴りっぱなしですよ、しかし、ここじゃぜんぶほんものでなくちゃダメなんです。模型はいりません。ぼくたちを信じてもらわなくちゃなりません。ほんものだけが信じてもらえるのです」

 ぼくは別に、これくらい苦悩しながら作れとは言わない。福島とチェルノブイリではいろいろと事情が違う。でもヒントはあると思う。彼が「ほんものでなくちゃダメ」と言うとき、「ほんもの」とは何を指すのか考えてほしい。それは作業員や被災地住民の存在そのものが見えてくるものでなくてはならないということだ。(もちろん線量計が鳴るようなものは除外するとして)

 そこで具体的な提言をしてみたい。

① 被災地住民(避難している人もふくめて)に呼びかけて、展示物の提供を広く呼びかけること。たとえば、原発災害のため離農を余儀なくされた人が長年使っていた草刈り鎌でもいい。これを手放したときどんな思いがしたのか想像させるためのきっかけになるだろう。また、家族が一緒に住んでいた時に使っていた掘りごたつのやぐらとか、地域コミュニティが保たれていた時期を象徴する祭の道具とか、漁師を止めたけど捨てられない大漁旗とか、地域の人に慕われた店の看板や、販促用の人形など、震災前の生活が染みついたものなら何でもいい。処分する前に提供してもらい、展示できないものは収蔵庫に保管する。

② 被災住民の証言に加え、NHK福島テレビなど民放局の当時のニュース映像や、一般人が撮影した動画などの映像アーカイブを充実させる。つまり説明のための映像ではなく研究資料としても活用できるものにする。閲覧用のブースを一部屋に集約し、モニターの前に椅子を置き、閲覧者は腰掛けてじっくり落ち着いて見られる空間にする。また、閲覧者がボタン操作によって映像を検索できるよう分類・整理する。

③ 図書室を設け、震災や原発事故に関する著作物を閲覧できるようにする。自費出版の手記や詩集など散逸してしまいがちなものは特に積極的に集める。新聞・雑誌は大手ものもに限らず、たとえば沖縄タイムスなどの地方紙や海外の新聞・雑誌なども集める。小学生の作文や日記など、非公開であっても本人が希望するなら保管する。

④ 震災や原発をテーマにしたアート作品を展示するギャラリーを設ける。また、野外展示の可能な彫刻作品は公園に常設展示する。

⑤ たくさんの国から様々な形で支援を受けたので、それらの国に敬意をこめて感謝する展示が欲しい。

⑥ もちろん、犠牲になられた方(震災関連死・震災関連自殺も含め)の、鎮魂のためのモニュメントも欲しい。

 以上です。伝承館は生き物です。いまある形で終わりではないはずです。みんなで知恵を出し合い、成長していく伝承館にしようではありませんか。