チェルノブイリではどう伝承しているのか

 僕がチェルノブイリを訪ねたのは2017年の秋。チェルノブイリ博物館には日本コーナーが設けられていた。中でも印象が強かったのは、日本を象徴する桜の妖精(煙の美女)と、ウクライナ語と日本語が一対になった詩。「あなたの兄弟」の祈りに応える詩が日本で生まれただろうか。

 断っておくがこれは宗教ではない。アニミズムに回帰しろと言うわけでもない。人間の本質を問われているのだ。反省より先に祈りがある。祈りがあれば自ずと反省が生まれるはずだ。

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 チェルノブイリ博物館でこの写真を見つけた。南相馬市原町区の萱原地区。津波被災地であり、原発被災地でもある。そこに鯉のぼりが泳いでいる。僕はこの場所を知っているから、ほとんど「俺がここにいる」に近い衝撃だった。

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 写真左下はベビーベッドを突き抜ける「生命の樹」。そこにイコンや家族写真を配している。右は舟のゆりかご。奥の壁に子ども達の写真が、原子炉の燃料棒の配置パネルのように並べている。床も、核燃料棒を挿入した原子炉を模したものだ。ここに集められた物はすべて被災地で収集した本物だという。確かに洗練とはほど遠い。泥臭いかもしれない。土俗的かもしれない。土着的な宗教の匂いもする。しかし、こうでなければ伝えられない物が確かにある。

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 下の写真は事故を起こしたチェルノブイリ原発のすぐ横にある展望台の室内。窓から事故処理作業を見る事ができる。展望台には原発の精密な模型があり、広報官が事故の状況を詳細に説明してくれる。

 挨拶の中で彼女は、「ウクライナと日本。原発事故が起きた国同士、知恵を出し合って乗り越えましょう」と訴えていた。ちなみに、後ろに日本の国旗があるが、これは支援国に対しての感謝の意だという。そういえば双葉町の伝承館に支援国への感謝はあっただろうか。ウクライナから提供された放射能測定器(だったと記憶している)が二個、即物的に並べてあったけど。

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 そしてこれは、ベラルーシサナトリウム「希望21」にあったチェルノブイリ博物館。原発から30キロ圏内の立体地図を囲んで僕らは係員の説明を聞いている。立体地図は日本の支援団体が贈ったものだ。ボタンを押せば、どういう核物質がどの範囲に拡散したか、ランプの点灯でわかる仕組みになっている。他にも汚染マップがあり、ここを訪れた子ども達は自分の住んでいる地域がどの程度汚染されているか学ぶことができる。また、どうすれば汚染を避けて生活できるかという学びの場にもなっている。

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 断っておくとベラルーシ独裁国家だ。言論の自由はない。もちろん隠蔽もあるだろう。決していい国とは言えない。それでも子ども達を守るために務めている。日本は世界に誇る自由の国のはずなのに、なぜなのだろう。原子力災害に関してはなぜ、臆病になるのだろう。