2021-01-01から1ヶ月間の記事一覧

お蔵だし写真(8)浪江編

浪江町には高校時代、よく遊びに行った。小高町に比べるとゲームで遊べる喫茶店や(その頃はゲーム機と一体化したテーブルがどの店にもあった)映画館もあって(『八つ墓村』を観た)便利な町だった。ちなみに僕は浪江の喫茶店で生まれて初めてピザトースト…

お蔵だし写真(7)双葉高後編・その後

震災後、僕が双葉高校に入ったのは双葉高内覧会に参加した2016年11月、双葉町に自宅のある高校の先輩に案内された2019年5月、双葉町の立ち入り制限が緩和された2020年の3月の三回。その間に、高校の姿はいい意味でも悪い意味でも変化していった。上の自動車…

双葉高校の3.11(証言)

教員による証言 3月11日、双葉高校では入試の判定会議があり、午前中は生徒を登校させ授業を行っていた。「なんで授業があるんだよ」生徒たちはぶつくさ言ったが、海岸近くに家のある者も学校に出ていたおかげで、津波の犠牲にならずにすんだともいえる。…

お蔵だし写真(6)双葉高編・震災前

引き続き2011年正月の写真。わが母校、双葉高後編。もう10年が経ったのだな。町が、学校が、活き活きとしていた時の写真を見るのはやっぱり楽しい。 上写真右が正面玄関の前庭。左が校舎。一階が一年生で二階が二年生の教室。一階手前のが美術室。一年生の時…

お蔵だし写真(5)双葉編

震災の年の2011年1月2日、僕は双葉町に入り街並みの写真を撮った。双葉高校の生徒だった僕にとって双葉町は青春そのものと呼んでもいいくらい思い出深い町だ。卒業年は1978年だから30年以上の歳月が流れていたのだが、街の景観はほとんど変わっていないこと…

お蔵だし写真(4)・小高福浦編(震災後)

小高町の立入禁止が解除されたのは意外に早く、震災の翌年の4月には日中の出入りが自由になった。小高の中心部の被害にも衝撃を受けたが、まだ予想の範囲内ではあった。けれど福浦の惨状を目の当たりにした時の衝撃はそれとまるで違った。世界が変わっていた…

お蔵だし写真(3)・小高福浦編(震災前)

「自転車が好きだった」で書いたとおり、ぼくは自転車で走り回るのが好きだった。なかでも好きだったのは、小高町でも海側の、浪江町に近い南側、福浦(旧福浦村)だ。戦前までここは浦だった。淡水と海水が混じり合う豊かな漁場だった。干拓が完了する昭和…

もし汚染水を海洋放出するなら

今朝のNHKニュース。今年中に汚染水の処理について指針を示さないといけないということ。 もちろん反対と賛成の両論併記で報じていた。反対するのは漁業関係者。賛成派の代表として双葉町長が「これ以上汚染水タンクを増やしては住民の帰還の妨げになる」と…

自転車が好きだった

子どもの頃、というのは小・中学校時代の頃になるけど、自転車で走るのが好きだった。 なぜかというと自転車に乗っている間は独りでいられるから。 むかし(2004年)、矢野絢子(じゅんこ)というシンガーソングライターに「てろてろ」という歌があった。そ…