『爆心地ランナー』取材画像集(1)

『爆心地ランナー』を読まれた方、また、これから読まれる方も、ありがとうございます。この本には「爆心地ランナー」と「こんなやみよののはらのなかを」の2作が収録されています。

「爆心地ランナー」は東京に新型コロナウイルスのよる緊急非常事態宣言が発令される直前、そして東京オリンピック聖火リレー)の延期が発表される直前の2020年3月末から物語が始まります。

「こんなやみよののはらのなかを」はその約一年後、2021年3月末、コロナ禍において東京オリンピックが無観客で強行されることとなり、聖火リレーが始まろうとする前夜から当日にかけての物語です。

 どんなストーリーになるか固まらないまま、とにかく画像を撮りためてきました。ここに画像を紹介します。ネタバレの危険があるので出来れば読み終わってから観てほしい。作品理解のよすがになってくれればと願います。

 

 爆心地ランナー

 2020年3月26日、Jヴイレッジ駅。当駅が開業したのは約一年前だが、真新しいコンクリートの匂いがした。この駅で下車し、国際的サッカー練習場であり聖火リレーのスタート地点でもあるJヴイレッジを歩いた道行きは、そのまま主人公「ぼく」の足取りに重なる。なにも起こらないかもしれない。けれど行くだけ行ってみた。実際、なにかが起きたわけじゃなかった。それでも、「なにも起こらない」空虚感を実感できたのは収穫だった。

 P6「野山を切り開いてコンクリートで固めた、ジオラマみたいな駅。「キャプテン翼」のイラストがある階段を上れば展望台があり、(後略)」

 駅員は聖火リレーがあるという前提で配置されたのだと思うけど、乗降客はまばらで見るからに手持ち無沙汰な様子で、見ていて気の毒なくらいだった。

P7「海岸には火力発電所の黒ずんだ建物。補修中なのか鉄骨が組まれ、遠目に見れば老朽化した鉄の要塞だ」「無人駅らしく、改札口にはカードを読み取る機械がぽつん。なのに、今日は特別警戒なのか駅員が三人もいる」

 P11「原発事故直後、Jヴイレッジは福島第一原発という戦場の前線基地だった。事故処理作業員が集結し、自衛隊のヘリも戦車もここから出動した」

 この四枚は別の日、福島スタディツアーに参加してJヴイレッジ内のホテルに宿泊した際、通路の壁に飾られていた写真を撮影したもの。戦車は路上の瓦礫を除去するために使われた。しかしこうした写真を見ていると現場は本当に戦場さながらの凄まじさだったんだと思えてくる。

P11「前方から金属を打ち鳴らす音が聞こえてきた。なにかと思えば、セレモニーを予定していた広場で仮設ステージを解体していく物音だ」

 作品中で「ぼく」はスーツ姿の男に「どいて」と追い払われたが、実際に私も追い払われたのだった。少しだけ腹が立った。

P8「なにか手にしていると思ったら、なんとピコピコハンマーだ。大真面目な顔で、ハンマーのおもちゃを聖火トーチに見立てて走っている」

 写真のおじさんは、ピコピコランナーのモデルになった人。実際はバナナを掲げて走っていた。トラブルになりそうで走っている写真は撮れなかったが、Jヴイレッジ駅に着いて自撮りをしている姿を隠し撮りした。聖火リレーが延期になったので、せめて自分で走りたかったのだろう。

P15「風俗店の看板の匂うような色彩が、あっちからもこっちからも飛び込んで脳を刺激する。客引きの凶暴な笑顔や、風俗嬢の胸の谷間や、臍ピアスや太股のタトゥーがめまぐるしく行き交う」

 緊急事態宣言直前の歌舞伎町。感染を怖れて街は閑散としていたが、風俗嬢とその客らしき男が連れ立って歩くのに何回もすれ違った。ビデオを回しながら路地から路地を歩いたが、怖そうなお兄さんが笑顔で客引きをしている姿が、別の意味で怖かった。

 ウィッグ専門店のある新宿の地下街、サブナード。取材で最初に訪れた時は画像を撮らなかったので、緊急事態宣言発令後に撮影目的で入ろうとしたら、封鎖されていた。局地的ロックダウン。限定的な意味でライムさんの予言は当たったのだ。(ちなみに、私がウィッグ専門店の存在を知ったのはNHKの「ドキュメント72時間」という番組をたまたま観たから)

P22「振り向くと駅舎の壁に時計があり、二時四十七分から先に動かない。その下にからくり時計の銀色の扉。昔は時報のメロディと共に扉が開いた」

 双葉駅。右が震災前で左が震災後。よく見ると震災後の銀色の扉に隙間がある。ちなみに私はからくり時計をが動くのを見たことがない。私が双葉高校生だった時代、駅は素朴な木製だった。震災前は双葉高校の運動部が好成績をおさめると駅に功績をたたえるポスターが貼られた。いい町だったなあ。

 上段が2017年秋の駅前風景。下段が2020年3月。左側の上下を(車道のラインを目安に)見比べると、どれだけの建物が撤去されたかわかる。「たいやき」の看板がある渡部商店はなぜか残っている。この店は電車待ちの高校生がよくたむろしていた。もちろん私も。ラムネを飲んだよなあ。

 「がらんどう」は、まさに私の実感。

P21「駅を囲んでいた店や家がみんな取り壊されて、空間がやけに広くなって、まるでがらんどうだ」

P27「その横に「たい焼き」の看板。あの店で父さんとたい焼きを食べたっけ」

P29「横断歩道を渡ると薬局があった。子ゾウののフィギュアが店頭に立ち、傷だらけの顔で愛嬌を振りまいていた。名前はサトちゃん、だっけ。日本でいちばん寂しいサトちゃんだ」

「誰かが踏み荒らした。手当たり次第に薬を盗んだ。そうとしか思えない。盗んだ薬でなにをしたのか考えると頭が混乱した。とてつもなく邪悪な想像が頭を掻き乱した」

 作品ではここから主人公の様子がおかしくなる。街を歩いて目に付く盗難の跡だ。

右が震災直前の2011年正月に(たまたま)撮影した双葉町商店街。左側が2020年3月撮影。ほぼ同じ場所を逆方向から撮っている。街並みの変わりようが分かると思う。

P30「崩れたお寺の山門としだれ桜。(中略)春物セーターが黴びて黒ずんだ洋品店

P27「消防署の望楼は窓が割れ、車庫のシャッターはいまにも弾け飛びそうに湾曲して」

P27「埃がこびりついた花屋のショーウィンドウ。花筒に干からびた花束、触れただけで壊れそうなカサカサの花びら」

P30「傷ついた街がぼくの傷になる。みんな叫びたがっている」

右が震災前の2011年正月撮影。左が2020年3月撮影。同じ看板を別の角度から撮影している。まさか、この二か月後にあんなことが起こるなんて夢にも思わなかった。

P31「商店街を抜けると広い道路に出た。斜向かいにF高校を示す矢印の看板」

P31「門の横に病気で歪んだ松の樹がある。(中略)ぼくはきっと、松ぼっくりのひとつなのだろう」

P32「校庭は一面に新しい土が盛ってあって、膝くらいの高さに木や草が伸びている」

P37「病院があり、駐車場には置きっぱなしの自動車が並び、黒い袋を積み上げた廃棄物置き場があり(後略)」

P37「鉄が裂けて、歪んで、叫びたがっている」

P37「防波堤は未完成で土の肌が光っていた」

P38「海水浴場だった砂浜に津波の残骸が散らかっている」

P38「マリンハウスが遠くからぼくを見ていた。いや、そんなのは錯覚だ。窓の配置で壁が人の顔に見えるだけだ」

 マリンハウスから突堤を越えて波打ち際を歩くと、福島第一原発が見えてくる。物語はこの場所で終幕を迎える。私は双葉高校生時代に剣道部で、放課後にこの海岸までよく走った。防潮林の中の小道を走っていたらいつの間にか原発の敷地内を走っていたこともあり、びびった。といっても作業員のプレハブ宿舎がある場所だったので警備がゆるかったのだろう。なんにせよ思い出深い海岸だ。いまでは下の写真のように美しい砂浜が蘇っている。本当にきれいな海だ。

 「爆心地ランナー」の全体的な構想がいつ生まれたのかは記憶にない。

 2020年3月26日、海岸から市街地に戻り、かつて通学路だった坂道を歩いて駅に向かっていたら、一人の少年(?)が道の向かい側を走り抜けていった。走らないと電車に乗り遅れる時間帯じゃない。彼が何者で、どういう理由で走っていたのか定かではない。聖火ランナーが走るはずだった日に、双葉町を走りたかったのかもしれない。とりあえずそんな想像をしてみた。

「爆心地ランナー」の構想は、もしかするとあの時に芽生えたのかもしれない。