お蔵だし写真(3)・小高福浦編(震災前)

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 「自転車が好きだった」で書いたとおり、ぼくは自転車で走り回るのが好きだった。なかでも好きだったのは、小高町でも海側の、浪江町に近い南側、福浦(旧福浦村)だ。戦前までここは浦だった。淡水と海水が混じり合う豊かな漁場だった。干拓が完了する昭和初期まで、ここの漁は「どんぼ舟」と呼ばれる丸木舟が使われていた。近代まで丸木舟が使われていた例は全国的にも珍しい。(参考「おだかの歴史民俗編1 海辺の民俗 福浦村を中心に」)

 大正時代、村の実業家が干拓に着手し、水田地帯に変えたわけだが、それでも、浦の雰囲気が残る場所だった。僕は広々とした田んぼの風景が好きで走り回っていたのだが、学区が違うので同級生に出くわす可能性が低かったのも理由のひとつ。誰にも邪魔されず自由に走り回ることができたんだ。

 僕の小説『非情の神が舞い降りる』で、主人公が少年時代、蛙を捕っていたのもここの田んぼだった。ある意味、あの小説は今はなき風景へのぼくなりの鎮魂歌でもあったんだ。

 僕が大人になってからは、帰省は年に一回、正月だけになっていたので、残っている写真は冬景色ばかりなのが残念。でも青々とした田んぼや風と共にかよう稲の香りは記憶の中に鮮明に残っている。

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 遠くに見える塔は、浪江・小高原発建設予定地に建っていた気象観測塔。東北電力原発だったが、2013年に白紙撤回された。あの塔は計画していた原発の排気筒と同じ高さ、140メートルという。2014年11月5日に撤去された。その模様はYouTubeで見ることができる。結果的には無用の長物で終わったわけだが、爆破、倒壊する姿はなんだか哀れだ。

 それにしても、もし原発事故が起きなかったら、この場所からまさに目と鼻の先で原発建屋が見えていたかもしれない。表向きは用地買収8割だったが、浪江町の反対同盟は裏工作によって息の根を止められる寸前だったらしい(河北新報記事にとる)。それを考えると心境は複雑だ。

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 干拓地の水門。左側はともかく、右側は時代を感じさせる。後ろに松林があるが、この防風林は津波によって消滅した。

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 干拓地の中を流れる井田川。人口の川なので、定規で引いたようなラインが美しい。

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 白鳥が飛来していた池。ここも美しかったな。津波後は場所を変えて餌付けをしている人がいて、白鳥たちはまだ健在。

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 なんでもない田舎の砂浜だけど、巨大な防潮堤が完成したいまは、まるで別物の海に見える。何かを手に入れれば人は何かを失う。まあ、しかたないけれど、下のような手作り感のある階段も、取り返しようのない風景のひとつ。現在は海釣りをしている人もちゃんといる。どんなに変貌しようと僕の福浦愛は続く。

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