お蔵出し写真 いわき市薄磯編

 薄磯にはなぜか引き寄せられる

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 薄磯はいわき市の沿岸部。津波により220人が犠牲になった。震災前の薄磯になじみはなかったけれど、なぜか引き寄せられるものがあり、何度か脚を運んだ。震災の年の五月、精神科医のチームと一緒にいわき市内の避難所を巡回し、避難者の話し相手になるボランティアをしたことがあり、その時、津波の爪痕がまだ生々しい薄磯を目にしたこともそうだけど、震災とは別に、この土地には他にない独特の雰囲気があると感じ、調べてみたらこの辺りがもともと霊地だったとあとで知った。下の写真は2011年5月初旬の撮影。なお、下写真は、テレビ局の取材を受けている精神科医チーム。彼らと活動した経験がなかったら、震災をテーマにした小説のほとんどは書けなかったか、違うものになっていたと思う。

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 その年の秋、今度は一人で薄磯を訪ねた。被災家屋のほとんどは撤去されており、夕暮れ、遠くからコンクリートの建物を解体する物音が間遠に聞こえていた。ほとんど車が通らない交差点に(もちろん信号機はない)警備員が独りで立っていたことを記憶している。

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 偶然にも大潮の日で、見事な満月がのぼっていた。釣り人が独り。元住民だろうか? 美空ひばりの歌で有名な塩屋崎灯台は故障中で点灯しなかった。工事が終わると波音のほか何の物音もしなかった。

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 崖に横穴古墳群がある。きっと古代から霊的に強い場所だったのだろう。それと関係しているのか、ここの海岸の自然風穴には賽の河原もある。海で亡くなった子どもの霊が集まる場所だといい、伝説も残っている。

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 この時はまだ内部にはお地蔵様が倒れたままだった。(今は外に並んでいる)そこかしこに石積みがあり、うっかり蹴飛ばしたり踏みつけたりしないよう、気をつけて歩かなければならなかった。

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 波音が洞穴に反響して厳かな空気に満ち、傷ましくはあったが、怖い感じはなかった。僕はオカルト的な興味で訪れたわけではなく、こういった場所で自分がどういう心境になるものか感じ取ってみたかったのだ。こういう経験を積んでいかないと小説は書けない。下の写真は出口。

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 しかし自宅に帰ってから不思議なことが起こった。夜、誰もいない僕の部屋から時おり、水のしたたる音が聞こえるようになったのだ。もっとも、音の正体はすぐに判明した。僕の携帯電話の着信音がいつの間にか水音に切り替わっていたのだ。自分では変えたつもりはなかったが、操作ミスでそうなってしまったのだろう。なあんだ、という話なのだが腑に落ちない。なぜ着信音が変わったのだろう。着信音に水音があるなんて僕は知りもしなかったのだ。被災地を歩いていると不思議なことはよく起こる。不思議は不思議と受け入れて、慰霊の心は忘れないことが大事。

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 塩屋崎灯台は修理を終え、夜になると光を回転させている。灯台からは薄磯地区が一望できる。

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 震災前、灯台絵画コンテストで佳作入選した女の子が残念ながら津波の犠牲になった(当時小学校4年生)。色彩が鮮やかだし、構図も見事だ。子どものかわいらしい絵、という以上に優れたデザインだと思う。成長していたら才能を開花させてデザイナーになったかもしれないと思うと、なお傷ましい。その作品は、灯台の復旧を記念してハンカチになった。彼女の命の証は、ハンカチになって永遠に残るのだろう。灯台の展示コーナーに上のポスターが飾られてある。

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 2019年撮影の灯台。震災直後はこの通路が割れてぐちゃぐちゃになってしまった。美空ひばりの歌碑がやたら有名になったけど、灯台自体も美しい。騎士か貴婦人を思わせるくらい、凜としている。

 下左写真は2019年撮影。新しい道路が敷かれ、空き地だった場所にも家が建ち始めていた。右写真は高台に作られた復興住宅。住民の新しい生活が始まっている。

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