世界一のバナナが広野にあった

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 広野町のトロピカルフルーツミュージアムを見学する。ちなみに看板右後方に屹立する白い塔は広野火力発電所東京電力)の排気筒。ここも津波の被害を受けて震災後しばらくは操業を停止していたが、東京に電力を送るため大急ぎで修復し機能を回復させた。だから東京の人はこの発電所に感謝しよう。

 

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 トロピカルフルーツミュージアムといっても、作っているのは主にバナナで、マンゴーなども多少はあるが、係の人の話だと「名称がトロピカルフルーツなのにバナナだけというのはまずいだろう」ということで他のフルーツも栽培することにしたという。正直な人だ。

 ところでそのバナナだが、世界一名前の長いバナナとしてギネスブックに登録されている。

朝日に輝く水平線がとても綺麗なみかんの丘のある町のバナナ」。信じられないだろうがこれが正式名称なのだ。バナナの名称に町の魅力を盛れるだけ盛って、「みかん」まで入れてるところが掟破りだ。名称を決めるにはちゃんと公募をし、ちゃんと審査員が選んだという。誰も止める人がいなかったというのも、心の底から脱帽。

 でもこんな長い名前は覚えられないし店頭で口にするのも大変だから、愛称は「綺麗」。最初から「綺麗」でいいじゃないか、と言う人はきっとユーモアを解さない人だ。

 時期が外れて試食はできなかったけれど、とにかく美味しいらしい。しかも無農薬だから皮ごと食べられるとポスターに謳っている。

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 皮ごと食べられますが作った方は、なるべく食べない方がいいと仰いました。」とポスターでわざわざ断っているところがいい。まあ、無農薬とはいえ皮は皮なんだろう。バナナの皮は滑るためにあるんだし。

 そして右のポスター。「今日という日は残りの人生の最初の日である」。アメリカで生まれた格言らしい。あえて説明しないところがいい。震災と原発事故の被害から住民がどんな思いで立ち上がってきたか、このひと言で表現しようとしている。広野町の震災後の経緯を知ると感無量。世界一名前の長いバナナは世界一うまいバナナで、世界一心のこもったバナナでもあったんだな。

 

 以下は、震災直後に僕が広野町を訪ねた時の印象。長くなったので面倒だったら読まなくてもいいけど、「今日という日は残りの人生の最初の日である」という言葉に込められた想いを少しでも知ってほしくて、蛇足と思いながら書いた。

 広野町福島第一原発から30キロ圏内にある。原発事故の翌日、当時の町長は独自の判断で全町避難を決めた。国の指定は緊急時避難準備区域。強制ではないが、町民の生命を第一に考えた英断だと思う。(第二原発も一時危機的な状況だったが、広野町役場には何の報告もなかった)

 住民のほぼ全域が避難していた時期、僕は何度か広野町を訪ねている。避難せず家に残って生活を続けていた人もわずかにいた。印象では、その多くの人は犬を飼っていた。(原則、ペットを連れて避難はできない)夜、灯りのない家の庭で、いかにもひっそりと水仕事をしていたお婆さんと、寄り添っていた犬を覚えている。津波被害で一階はがらんどうになり、損害の少ない二階で暮らしている人は見事な大型犬を二匹飼っていた。

 半年後に緊急時避難準備区域は解除され、一年後、住民の帰還促進のため、役場機能は広野町に戻った。

 その時期、自宅の玄関先で町の職員に苦情や不満を言い立てていた人を覚えている。戻れば戻ったで苦労は絶えなかったはずだ。

 秋になると耕作のできない水田地帯は一面セイタカアワダチソウで黄色に染まった。早朝、農道を散歩していたご婦人も犬といっしょだった。

 トロピカルフルーツミュージアムは二ツ沼総合公園のとなりに作られた。

 その公園は一時期、原発事故作業員のプレハブ事務所・宿舎で埋め尽くされていた。線量が比較的高い区域で、作業員がパークゴルフを楽しんでいた光景も鮮明に記憶している。

 そんなあれやこれやが頭の中を駆け巡ったから、「今日という日は残りの人生の最初の日である」という言葉にはきっと、単なる名言以上のものがあったんだと思う。